“朝鮮時代、 科挙に及第して官職に就くことは、 出世であり 家門の栄誉だった”

男性はサランバンで勉強し、官吏になるための科挙の準備をした。 朝鮮時代において科挙に及第するということは、官職に就くという出世であり家門の栄誉だった。科挙には文科と武科があり、文官は行政を、武官は軍事を担当した。 文官と武官は、宮殿に出入りする際、サモ(紗帽)をかぶり、タンリョン(団領)と呼ばれる官服を着た。官服につけられたヒュンベ(胸背)には、文官は鶴、武官は虎の刺繍が施してあった。
男性はサランバンで勉強し、官吏になるための科挙の準備をした。 朝鮮時代において科挙に及第するということは、官職に就くという出世であり家門の栄誉だった。科挙には文科と武科があり、文官は行政を、武官は軍事を担当した。 文官と武官は、宮殿に出入りする際、サモ(紗帽)をかぶり、タンリョン(団領)と呼ばれる官服を着た。官服につけられたヒュンベ(胸背)には、文官は鶴、武官は虎の刺繍が施してあった。
虎のヒュンベをつけた武官閔光升 (ミン・グァンスン)の肖像
ヒュンベ(胸背)は、朝鮮時代の王族や官吏が着る服の胸と背につけた刺繍装飾である。行政を担当する文官は鶴、軍事を担当する武官は虎の文様のヒュンベをつけることで身分を表した。
紗帽をかぶった権悏 (クォン・ヒョブ)の肖像
官吏が官服とともに身につけた冠帽で、 婚礼の際には庶民にも着用が認められた。